鳥取らくだカンファレンスでは、障がいがあっても「できる!」「わかる!」「楽しい〜!」「らくだ〜!」を実感できるような経験をどんどん増やしていくために、タブレット研修会を開催しています。
主にiPadを利用して、学びや生活の中での実際の活用方法を広く知っていただきたいと思います。
学校の先生方を対象にした研修会、保護者や当事者を対象にした研修会等を計画していますので、どうぞご参加ください。
今年度のタブレット研修会
昨年度のタブレット研修会
「教室で使う! 苦手さを補うiPad活用講座 – らくだカンファレンス 資料」
「自分でできる! 苦手さを補うiPad活用講座 – らくだカンファレンス 資料」
「できる!したい!を叶えるタブレット活用法 – らくだカンファレンス2nd 資料」
「①今日から役立つiPad実践講座(支援者向け) – らくだカンファレンス2nd 資料」
「④今日から役立つiPad実践講座(当事者向け) – らくだカンファレンス 2nd 資料」
「できる!わかる!を可能にするタブレット活用法 – らくだカンファレンス 資料」
第1回目のカンファレンスに登壇してくださった奈良県の高校生松谷くんが中学生だったときのスピーチです。
「iPadは僕にとって教科書であり、ノートであり、鉛筆であり、消しゴムです。」と、彼は言います。
理解者が増えて、読み書きで学びの機会を失ってしまう子どもたちが救われることを願っています。
選べることでなくなるバリア
奈良市立富雄南中学校 1年 松谷 知直
僕には障害があります。僕を見て、僕に障害があると気づく人はほとんどいません。なぜなら、僕は発達障害という見えない障害だからです。僕は、集中するのが難しかったり、忘れものが多かったり、音がいっぺんに入ってくる聴覚過敏や、触られただけでも叩かれたと感じる触覚過敏があります。今、僕が歩き回りながら話をしているのは、じっとしていられないからです。そして、今一番困っているのは、学習障害です。
僕の学習障害は、読んだり、書いたり、計算したりすることがとても難しくて、みんなと同じように勉強できないというものです。しかし、すこしの工夫で読むのが楽になります。僕は、ICレコーダーや、パソコンなどのテクノロジーを使うことで、他の人に頼らずメモを取ったり、教科書を読んだり、計算できるようになりました。連絡事項を録音することで、忘れものも減りました。
僕は、タブレット端末を使って学習に取り組んでいます。例えば、黒板に書かれたことをカメラで撮影したり、キーボードで入力してノートをとったり、デイジー教科書を読み上げて内容を理解しています。
テクノロジーを使う前は、オリジナルのノートを母に作ってもらったり、拡大コピーをしたり、定規なども僕が使えるように工夫していました。それでも、みんなと同じように学習できない僕はバカだと感じていました。テクノロジーを使って、僕はバカじゃない、僕にもできる方法があるとわかりました。
しかし、しばらくすると、テクノロジーを使っても越えられない壁があることに気づきました。例えば、テストやワーク、配布されるプリントなどもフォントや文字の大きさによっては読めなかったり、問題と問題の境がわからなかったり、記入欄が小さすぎて書けなかったり、挿絵や色などの情報が多すぎてどこにどの答えを書いていいかわからなかったりすることです。
そこで、提案したいと思います。教科書や教材、教育の受け方をもっと選べるようにしたいと思います。
教科書や教材は、デジタルや紙媒体などから選択できるといいと思います。僕のように読み上げ機能やキーボード入力が必要な人はデジタルを、いつでもどこでもさっと広げて学習したい人は紙を、というように自分に合った媒体を選べるといいと思います。それから、学校に行きたくても行けない不登校や病気の子がオンラインで授業に参加できればいいと思います。僕自身、不登校を経験して、一番辛かったのは、授業を受けたくても受けられないことでした。あと、身体障害や知的障害など、いろんな障害があります。だけど、障害があっても僕たちは学びたい。なぜなら、知ること学ぶことはとってもワクワクする経験で、これほどエキサイティングなことはないからです。
僕たちには多様なニーズがあって、多様な学び方があります。だから、もっと自分に合った学び方を選択できるようになればいいなと思います。
僕の考えでは「障害」は「困っていること」で、「障害者」は「困っている人」です。「障害」は僕の中にあるのではなく、僕の外、社会にあります。多様な学び方の選択肢が増えることは、学ぶことへの障害を減らすことにつながると思います。何を、いつ、どう使うかをもっと自由に選択できるようにすることで、もっと公平に学ぶ機会をみんなが得ることができると考えます。
「困っていること」がなくなれば、「障害」は、「障害」ではなくなり「個性」になります。「多様な僕らに、多様な学びを」これからも訴えていきたいと思います。
成人ディスレクシアtoraの独り言
成人ディスレクシアで、自ら理解啓発活動をしていらっしゃる井上智さんのブログです。
たくさんの困り感を抱えながら、43歳の時にディスレクシアと診断された彼が、子どもの頃から現在に至るまでに感じておられた思いを様々なエピソードの中から伝えてくださっています。
その中に、こんな文があります。
学校では紙の文字や文書の読み書きにこだわり過ぎて、大切なことを忘れていないでしょうか?
***(以下引用)***
ワープロやパソコンが、オレにきれいな文字をくれた。
携帯電話は、文章を書くことのサポートをしてくれた。
スマートフォンは、調べる方法を与えてくれた。
これって機械のおかげなんかな?
機械がかしこいからできるってことなんかな?
もちろんそれもあるだろうけど、使いこなしているのは「オレ」だ。
これって「オレが書けるようになった」でいいんちゃうん?
パソコンが賢いから書けるというなら、
音声入力でいいはずや。
でもなあ、音声入力がものすごく精度が上がっても、
オレ、それだと書けないと思う。
パソコンの前に座って、携帯の画面とにらめっこしながら、
打ちながら考えて考えて、文章が出来上がる。
オレは機械を使いこなして、「書けるようになった」
パソコンも携帯も、オレが「書く」ためには「眼鏡のように必要」なんや。
眼鏡がものを見ないように、パソコンも文字を書かない。
オレが考え、オレが選び、オレが書いている。
そう言ってええやろ?
まだまだスムーズではないし、
ちゃんとた文章を書こうと思うと、あいかわらずものすごく時間がかかるけど、
「オレは書ける」
これってすごいことやと思うで。
***(引用ここまで)***
鳥取らくだカンファレンス実行委員会
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